英会話 勉強教材~ちゅうごく歴史の人々の出会い縁であい

ちゅうごく歴史の人と人との数奇な出会い縁を英会話勉強教材として学習する、まゆみの英会話学習法。

三顧の礼~ちゅうごく歴史の運命の出会い

諸葛亮(英会話の発音 Zhū gě liàng)は司隷校尉諸葛豊の子孫。
ちゅうごく泰山郡丞諸葛珪の子。諡は忠武侯(ちゅうぶこう)。
蜀漢の建国者である劉備と出会い、創業を助け、その子の劉禅の丞相としてよく補佐した。
伏龍、臥龍とも呼ばれる。
今も成都や南陽には諸葛亮(英会話でZhū gě liàng)を祀る武侯祠があり、多くの観光客との出会いがある。
妻は黄夫人。子は蜀漢に仕え綿竹(成都付近)で戦死した諸葛瞻。
孫には同じく蜀漢に仕え父と共に綿竹で戦死した諸葛尚や、西晋の江州刺史になった諸葛京がいる。
親族として従父(叔父)の豫章太守諸葛玄、兄で呉に仕えた諸葛瑾とその息子の諸葛恪、弟で同じく蜀漢に仕えた諸葛均などが知られる。
一族には、魏に仕えた諸葛誕などがいる。
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三顧の礼~運命の出会い
ちゅうごく華北では、建安5年(200年)に曹操袁紹を打ち破って覇権を手中にし、南進の出会い縁の機会を窺っていた。
劉備袁紹の陣営を離れて劉表を頼り、ちゅうごく荊州北部・新野(河南省南陽市新野県)に居城を貰っていた。
諸葛亮(英会話の発音 Zhū gě liàng)は晴耕雨読の毎日を送っていたが、友人の徐庶劉備の出会い、彼の下に出入りして、諸葛亮のことを劉備に話した。
人材を求める劉備徐庶諸葛亮との出会い縁を頼んだが、徐庶は「諸葛亮は私が呼んだくらいで来るような人物ではない」と言ったため、劉備は3度諸葛亮の家に足を運び、やっと幕下に迎えることができた。
これが有名な「三顧の礼」である。
~ここを英語に翻訳~This is famous "due courtesy."
裴松之の注によると、『襄陽記』には、劉備が人物鑑定家として有名な司馬徽を訪ね、司馬徽は「時勢を識るは俊傑にあり」として「臥龍」と「鳳雛」、すなわち諸葛亮龐統とを薦めたという話が載る。
また『魏略』には、諸葛亮の方から劉備を訪ねたという話が載っていたという。
その後に裴松之自身の案語として、「「出師表」には明らかに劉備諸葛亮を訪ねたと書いてある。
それなのにこんな異説を立てるとは、実にわけの分らぬ話である」とある。
この時、諸葛亮劉備に対していわゆる「ちゅうごく天下三分の計」を披露し、曹操孫権との出会い縁を避けてまず荊州益州を領有し、その後に天下を争うべきだと勧めた。
~ここを英語に翻訳~At this time, Ryo Chuko announced what is called "the total for world 3 minutes" to Liu Bei.
これを聞いた劉備諸葛亮(英会話の発音 Zhū gě liàng)の見識に惚れ込み、諸葛亮劉備に仕えることを承諾した。
これを孔明の出廬と呼ぶ。二人の出会いである。
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